サスケ インタビューで暴露!「青いベンチ」以後のしくじり人生…現在は?

音楽


音楽ユニット「サスケ」の二人が、
BuzzFeed Japanのインタビューで、紆余曲折の人生について語りました。

「サスケ」は、埼玉県出身の二人組音楽ユニット。

2000年結成、2004年には「青いベンチ」が27万1千枚の大ヒットを記録しました。

しかしその後人気は低迷し、2009年4月に解散しています。

2014年4月に再結成を果たしますが、再結成後も苦労が続いているようです。

なんと、再結成後に出した、「青いベンチ」の10周年記念盤が、

たったの232枚しか売れなかったというのです。

 

232枚ですよ!?

 

仮にもメジャーデビューしていたデュオのCDの売れ行きとは思えません…。

CDの売れ行きは散々たるものですが、
Spotifyではこの「-10th Anniversary-」バージョン
85万回以上も再生されていると知った二人は、
驚きとともに安堵の声を漏らしていました。

インタビューの中で、ライブなどで常に「青いベンチ」を求められるのは苦痛ではないかと聞かれると、

「僕らの場合は無理なく、ウソなく、歌えていますね。
『青いベンチ』には救われたり、助けられたりすることばっかりなので。」

と話し、宝物のような曲だと語っていました。

この記事では、インタビュー内容の詳細や、世間の反応、
「サスケ」や青いベンチ誕生秘話、しくじり人生についてまとめています。

最後までご覧くださいね。

 

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サスケ インタビューで暴露!「青いベンチ」以後のしくじり人生…現在は?インタビュー内容

「サスケ」解散の理由

北清水「デビューから5年が経ち、お互い30歳の節目でもありました。

事務所の契約が切れたこともあり、一度新たな気持ちでリセットしようと解散しました。」

「『青いベンチ』でたくさんの人に知っていただいたんですけど、

それ以降なかなか、ヒットにつながらなくて。」

と、「ヒットを出さなければならない」という、

一気に人気歌手に上り詰めてしまった彼らならではのプレッシャーや焦りを語っていました。

 

「『青いベンチ』が売れている時も、浮足立つというよりは、

なんとなくその先の不安を感じていました。「このままだとヤバイ」という焦りは大きかったです。
お互いの関係もギスギスしていたし、殺伐としていました。

いまは昔に戻った感じで、2人だけでフリーでやってるんで、気持ちは楽ですね。」

 

と話しており、精神的な余裕の無さも解散につながっていったようです。

 

2014年再結成後の苦悩

再結成を決めた後も、苦労の連続だったようです。

 

奥山「再結成のきっかけは、2013年に2人で会った時に

『来年デビュー10周年出し、せっかくだからライブでもやる?』と話したこと。」

 

そして、再結成時に出した「青いベンチ」の10周年記念盤が232枚しか売れなかったことについて聞かれると、

 

奥山「これは本当です」

北清水「CDの時代ではなくなりつつあったのもあるし、限定発売だったので。」

奥山「大宮でしか売ってなかったんです。とはいえ少ないですけど」

 

と二人で笑っていました。

 

しかし、インタビュワーからSpotifyでは

10周年記念盤が85万かも再生されていると告げられた二人は驚いて、

 

奥山「それは知らなかったです!」

北清水「ちゃんと日の目を見てる! その情報、すごい嬉しいです。

ありがとうございます。みんな、ちゃんと聴いてくれてるんだなあ。」

 

と、その事実を知らなかった様子で喜びを語っていました。

 

更に、ライブなどで常に「青いベンチ」を求められるのは苦痛ではないかと聞かれ、

北清水「よく『ヒット曲ばかり歌うのは嫌だ』という話を聞きますけど、

僕らの場合は無理なく、ウソなく、歌えていますね。

 

『青いベンチ』には救われたり、助けられたりすることばっかりなので。

この間、高校生の前でサプライズで歌ったんです。

世代も違うし、シラーっとなってしまったらどうしようかと心配でした。

 

だけど、「青いベンチ」のイントロを吹いた途端、10代の子たちがワーッと盛り上がって。

10年以上経ってもこういう風に曲が残っているとは、デビュー当時、

僕ら考えもしなかったですから。本当に宝物のような曲ですね。」

 

と、感動した心の内を話してくれました。

 

更に、応援してくれているお客さんに向けて、感謝の言葉を語りました。

 

北清水「『青いベンチ』は悔いの残らないように愛を伝えようよ、というメッセージを込めた曲。

その相手方というのは、僕らにとってはまさに目の前のお客さんなんです。

 

受け取り手のみんなにとっては学生時代の彼氏彼女を思い返すかもしれないし、

もしかしたら親子や家族に思いを重ねて聴いてくれている人もいるかもしれない。

そういうことをひっくるめて、歌の力、音楽の力って侮れないな、と思います。」

 

最後に、これからの抱負を話してくれたお二人。

 

奥山「変わらずライブ活動を続けていきます。バラエティー番組とかも含めて、

僕らの存在を知ってもらえる機会や場所があれば、どんどん出ていきたいですね。」

 

北清水「自主制作で新曲のレコーディングをしているので、それを春ぐらいにリリースできたらと。

なるべくたくさんの人に聴いてもらえるように、ミュージックビデオやプロモーションもやれる限りでやっていきたい。

事務所もなし、マネージャーもなしで2人きりですが、

自力で、時には仲間の力を借りながら活動していきたいと思います。」

 

管理人としては、「青いベンチ」という曲はドンピシャ世代で、

当時はよく聞いていましたが、

失礼ながらお二人のことはよく知りませんでした…。

 

しかし、今回のインタビュー記事を見て、とても謙虚で、

努力家なお二人を見て、また「サスケ」を聞いてみようかな…

という気持ちになりました!

 

サスケ インタビューで暴露!「青いベンチ」以後のしくじり人生…現在は?世間の反応

 

このインタビュー内容について、ネット上では様々な反応が寄せられています。

 

「毎年のように新人が生まれる音楽業界で一発でもヒット曲を出せた事は素晴らしい事です。

ヒット曲に恵まれず消えていく人の方が圧倒的ですから」

 

と、彼らが一曲でも代表曲を持ち、それが世代を超えて

歌い継がれていることを称賛する声や、

 

「青いベンチは名曲だと思う。デコマスがカバーしたことも、本人達には良かったのだろうね。」

 

「私にとっては、人生語る上でかかせない一曲です。」

 

など、「青いベンチ」という曲の素晴らしさを語るコメント、

お二人を今後も応援したいというコメントも

多く見受けられました。

 

以下に、一例を紹介します。

 

「『青いベンチ』聴いてたなぁ…
その後、ヒットに恵まれなくて解散したまでは知ってたけど再結成していたんですね。
一度ヒットを知ってしまうと、なかなかその時の栄光が忘れられないし、

かえってプレッシャーになるかもしれませんが、頑張って欲しいものです」

 

「青いベンチしか無かったとはいうが、多分これ10年後も20年後も残る曲だよ
昔みたいに歌の大辞典とかヒットテンみたいな番組が少なくなってきてるけど、

それでもその年代の名曲は残り続けてる」

 

「高校生の時、大宮で歌ってた2人に会いに行ってました。

去年、息子の普通の公立中学の文化祭に来てくれて1時間も歌ってくれた。

最後に青いベンチが始まった瞬間今までとは違う大歓声で盛り上がりました。

あんなに売れたのに、こんなとこにも来てくれるんだって凄く嬉しかったです。
これからもずっと頑張って欲しい。」

 

#ヤフーコメントより

 

皆さん、とても温かい目でサスケさんを応援しているようですね!

 

サスケ インタビューで暴露!「青いベンチ」以後のしくじり人生…現在は?そもそも誰?

そもそも、「サスケ」と聞いても、ピンとこない若い方が

増えているのではないでしょうか?

 

そんな方も、もしかしたら、この歌詞を見たら

「あっ」と思うかもしれません。

 

~この声が枯れるくらいに君に好きといえばよかった~

~会いたくて仕方なかった どこにいても何をしてても~

 

この名曲を作った「サスケ」とは、どんな人物なのでしょうか?

プロフィールや、しくじり人生についてご紹介します。

 

サスケのプロフィール

「サスケ」は、毛呂山町出身の二人による音楽デュオです。

メンバーは、北清水雄太と奥山裕次のお二人。

 

奥山裕次

ボーカル・ビター・ピアニカ担当。

北清水雄太

ボーカル・ギター・ピアノ・ハーモニカ担当。

サスケの殆どの作詞作曲を行っています。

 

「サスケ」は2000年結成にしました。

 

代表曲は「青いベンチ」

2004年には「青いベンチ」が全国でインディーズ発売され、

27万1千枚の大ヒットを記録。

オリコンシングルチャートでは、最高8位を記録しています。

 

 

2009年4月4日、解散。

 

解散後の2010年、フジテレビ系「青春アカペラ甲子園

全国ハモネプリーグ」で決勝で歌唱されたために、

「青いベンチ」がレコチョクデイリーランキングで

圏外から1位へ急浮上し、解散したアーティストが首位になるという

初めての記録を樹立しました。

 

2014年には再結成を果たしています。

 

「サスケ」のしくじり人生…再結成後も苦労の連続

以前、テレビ番組「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(テレビ朝日系)に出演したお二人は、

その「しくじり人生」について語っていました。

 

まず、「青いベンチ」の記録的大ヒットで

一挙に名前が知れ渡ってしまった彼ら。

 

「顔を出す勇気がない」ために、CDジャケットなどでは

顔出しをしてこなかったといいます。

 

また、その勇気のなさは、トークにも現れていました。

 

「スベるのが怖い」

「他人の反応が気になり本音が言えない」

 

と言った理由で、当たり障りのないコメントしかできず、

ネット上では「サスケのトーク、ゲロ吐くほどつまんねぇ」などと

ひどいことも書かれたことがあったようです。

 

そして、自分たちの中で「青いベンチ」の次回作への

ハードルを上げすぎたがために、1年半もCDを出せず、

そのまましぼんでいってしまったそうです。

 

2014年には一念発起し、再結成を果たしますが、

これについても、

「自分勝手に舞い上がって再結成なんてするもんじゃない」と語っています。

 

ここで二人が陥った地獄がありました。

  • 再結成しても世間はそんなに喜ばない地獄
  • 今更新曲を歌ってもヒット曲以外盛り上がらない地獄
  • ひたすらビジュアルの劣化をいじられる地獄

 

きついですね…。

 

そして、青いベンチの10周年記念盤の販売数は驚愕の232枚…。

 

そして再結成後も辛い日々を乗り越えて彼らが行き着いた結論は、

「この声が枯れるくらいに音楽に好きといえばよかった」というもの。

 

「青いベンチ」の一節にかけて、自らの心境を表していました。

 

「それでもライブに来てくれるファンが、声がかれるくらい大好き」

と、ファンへの思いを語っています。

 

 

う~ん、こんなに苦労されてきたのですね。

大変だったと思いますが、現在も固定ファンがいらっしゃるとのこと。

ファンを大切に、これからも歩んでいってほしいです!

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